クロダイ

ロードバイクの事とか

1年ぶり

1年もブログを放置してしまった。

コロナがあったり、出向1年目が終わったり、なぜか家を新築することになったり、ゴルフはじめたり・・・いろいろ書くネタはあったけど、放置してしまった。

 

出向もあと3ヶ月。「おれもうあと3ヶ月でいなくなるし・・・」って超投げやりな気分が

心の中で存在感増してきている。

「いやいや、そんなんじゃだめだよ!責任もってやらないと!」とも思うんだけど。

 

コロナの影響で、テレワークも増えた。

2回目の緊急事態宣言までは、電話使って仕事する方が効率的でもあって、なんやかんや出勤してたんだけど「テレワーク積極的にやるように」とのお達しもあって、いやいや言いつつ

テレワークに。

通勤時間が無くなるってすごい楽だな、と思いつつ、終業のタイミングがわからん。

最近は定時になったら「はい終わりもう何人たりとも連絡入れることは許さん!!」と

pc閉じるようにしてる。

 

あと、やる気が・・・どーしてもダラけてしまう。

テレワークきちんとできる人って、図書館とか公民館とかいかなくても家で勉強できる人だろうな。僕には無理。

金曜日にタクシーまで使った仕事は身を結ばなかった。どっと疲れたし、メインで担当していた上司はもっと疲れただろう。

そのせいか、お疲れ様会かねて仕事終わりに初めて上司と2人で飲みに行く。

月曜で上司と飲みにいく、なんてワードだけ見ると仕事か、と言いたくなるケースだけど、そんな事なかった。ひょっとすると部下の人心掌握の一つかもしれないが、率直に楽しかった。

 

あんまりパッとしない人生だけど幸い人には恵まれている。

 

明日は雪がふるらしい。

タクシー

仕事で終電を逃したのでタクシーで帰っている。終電を逃す仕事ってどんな仕事だよ、というのは帰ってる本人が1番感じている。僕にかける人件費ヤバくないか。こっちは良いけど、コスト意識大丈夫か!?

 

タクシーは多分トヨタアルファードなのか、座席が広く乗り心地が良い。長距離をタクシーに乗って移動する事があまりないし、そもそもこの歳になると、車の後部座席にふんぞりかえって乗ることがあまりないので、深夜の妙なテンションと相まりタクシー乗ることに変にワクワクする。

 

リクライニングシートにドッカリ座り、真っ暗な外を見ながら、執事が毎朝毎晩こんな感じで職場まで運んでくれたらな、と思いつつ、そんな金持ちなのにちゃんと会社勤めする気でいるのか、という消えない社畜根性も再発見した深夜2時。

 

家まであと30分。

料金メーターがクルクル回っている。

修行

仕事マジ辛いこのままだと心の病気になる系の話題を書こうと思ったけどやめた。

 

みんな辛いのだ。

今僕は終電で帰ってるけど、この電車の中にいる人達みんな「今日もヤバかったな…」と思ってるはず。ひょっとすると自分はその人達より幾分マシな環境かもしれないし、そうじゃないかもしれない。考え方次第。

 

年末に実家に帰った際、父から出向について一言「修行だよ」と言われた。

今まで「いい経験だから」とか「一生のうち一度だから」とか、貴重な機会だから系の言葉はいろんな人からかけられたけど何となく違和感があった。自分でもそう言い聞かせてたんだけど。でも、この「修行だから」はヒジョーにしっくりきた。辛めの仕事も「修行や」つまらん仕事も「修行や」帰り遅いのも「修行」。

いろんな辛いことを修行と考えて、その結果何か得られるものがあるかもよ、という希望を感じさせる、いいアドバイス?だった。絶対父はそんな事考えてないはず。

 

終電で帰るのも修行だ。何を得てるかは思いつかないけど、思いつくのは今じゃなくてもいい。

 

むしろ自分の帰りの遅さに付き合ってくれる妻はかわいそうだ。何かお礼をせねば。

あけてた

気がつくと年末の9連休はあっという間に終わり、再び普段通りのサラリーマン生活に。

9連休何してたか手帳に書こうとしたけど、ほんとに一部思い出せないところもあるのが怖い。

あれだけ休みがあるんだから、ブログも一つや二つくらい書くことがあるかと思いきや、一切書かず。暇…ではなかったけど、書くほどのことが無かったんだな。今書いてる内容も書くほどのことか疑問ですが。

 

仕事始めは、課内の方々に新年の挨拶をして、着席し、年末にポツポツ来ていたメールを見る。それに飽きると、手帳をだして年末何してたかを思い出す。

 

年末はスターウォーズ フォースの夜明けを見たり、自分の実家に行ったり妻の実家に行ったり。いく先々でお酒を頂戴し、毎日二日酔い。年々お酒に弱くなってる気がする。

 

来年の今頃は、出向の終わりが見えてくる頃か。とか、早くも一年後の想像をしながら、手帳の2020年カレンダーの12月を何回も見る。 

1月からはあっという間に時間が過ぎて3月の年度末になるよ、と言われた。

 

ぜひそうであって欲しい。

 

 

スーパーアメリカンコーヒー

職場にはコーヒーマシンが設置されていて、毎朝嘱託さんがコーヒー豆を入れて、出勤した人たちがいつでも飲めるように準備してくれている。

 

今朝も死んだ目で「今日は何も起こるなよ起こるなよ起こるなよ…」と呪文を唱えつつ出勤する。早速長時間の通勤お疲れ様でしたコーヒーを紙コップに注ぎ、自席に座って一口。おっとー!?薄いぞー!?注ぐ時のコーヒーの色の薄さに何となく嫌な予感はしていたけど、見た目通りの薄さ。熱い麦茶か??少なくともコーヒーではない。焦げた何かをフィルターに突っ込んでお湯で濾したものかもしれない。それなら納得の味だ。わりかしコーヒーっぽく美味く出来てるぞ。

 

日によっては中々美味いコーヒーが飲めるのに、ハズレの日はこんな感じ。なぜ毎日同じルーチンで作るはずのコーヒーがここまで味が違うのか。測って無いのかしら。毎朝こんなに味の良し悪しが違うので、コーヒーの味占いを始める始末。

今日は美味しかった、良いことありそう、とか。今日の薄さは不吉な予感とか。

 

ちなみに今日のコーヒーは、占い的には大凶。

ゲキ薄。サーバーに入ってる段階でもう察する薄さと大凶。分かってて注ぎ、やっぱりねと思いながらチビチビ飲む。事実良いことは何一つ無かった。お前のせいだぞコーヒーめ。

でも、もうこの朝の一杯と占いはルーチンなので、たとえ白湯のような薄さでも、大凶より悪いやつは何だ今日死ぬのかとか考えながら飲むんだろうね。

赤ペン

同じ言語で同じ文法を使って文章を書いているはずなのに、なんでここまで修正が発生するのか。丹精がこもっているかは分からないが、それなりに調べて、分からないなりに調べているつもり。つもりなのがそもそもダメなんだろうな。もう30超えてこんな感じだと、自分って根本的にダメなんだろうな。なら得意なことはなんだ?愛想笑いか?

 

なんて事をぼんやり考えながら、上司が修正を書き込む赤ペンの先を、ぼんやり見つめる。多分ここ数ヶ月であの赤ペンを1番使わせてるのは自分だ。申し訳ない。フリクションペンなのに特に消される事が無さそうだ。フリクションペンにも申し訳ない。

 

それにしても、何を書いていっても尽く修正される。そしてその修正が的を射てる。そうそうそういう事が言いたかったんだよ、分かってるね!口に出したら肩パン確定のフレーズがいつも頭をよぎる。

 

おかげさまで、すっかり書き仕事は嫌いになってしまった。遅いなあ、と思われながらせっせと書いて、真っ赤にされて返される。はいゴメンなさいお帰り真っ赤な文章。修正方法を明確にしてくれるので、支持された通りに直せばOKなのだが、これがまた申し訳ないし、なんなら自分が一旦書く必要性すら感じず、俺の存在や作業は何?必要???というそもそも論にまで達する。

 

ある時、その毎回の一連の流れが流石に精神的にキツく、同じく出向している方に相談してみると「そんなもんですよ」のあっさり回答。

 

そんなもんなのか。そう思ってしばらく来てたが、今日もなかなかの修正を受けた。やっぱりダメだな俺は。でも最近は、ここ直されそうだなーと言うのがなんとなく分かってきた。

だから何?なら1発OKの作品もってこいよ、そう言われそうなので、このささやかな成長は胸にしまっておこう。

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